空白の多弁。 (2009.10. 7)
ここに何も書けない日が続いている。この空白は「書きたくない、書くことがない」というのとは全く違って、「書くことがありすぎ」 =「書く暇が無い」ということだ。日々、よくぞこれだけと思うほどの事件が勃発する。例えば、月曜日の通常練習では、 あんなこともこんなこともあった。その前は、永いこと会ってなかった友人を訪ねたらお留守で、 代わりにいつの間にか生まれたベイビィを抱いた娘さんにバッタリ。思わず立ち話をして、 ちゃっかりチラシを渡して車を走らせたらお目当ての友人からお怒りの電話。どうしてすれ違ったのに気が付かなかったのか? どうして寄らないのか?な~んて責められて、今、人を乗せてるからね~、カンベン~と又近々立ち寄ることを約束して電話を切る。 実はその近辺のリーズナブルで美味しいという評判の中華屋さんに行くところだったのだ。期待通りの良い感じ。
その前に行ったカルチャーでは来年大がかりな発表会をするというご案内が、、、、でもねえ~。それまで続いてるかしら、ねえ~。
その前にはガラコンの打ち合わせにホール担当者に会いに行く。まあ、電話でも良いようなことだが、次回の公演の事もある。 色々お聞きしたいこともあったのだ。その前は病院の送迎と、、、まあ、朝から晩まで、よくぞまあ、、、、 これだけ仕事したら相当な収入になるんだろうなあ~。ムムム。
でもって翌日は朝6時半に出張着付け。もう~っダメッ。と言いつつ次なる目的地へ移動。、、、帰省している娘が心からのあきれ顔で、 「お母さん、やりすぎ!」と言う。暇さえあれば寝ているこのお嬢は、吾が動きを信じられないと言うのだ。ハイハイ。 どうせ貧乏性に出来てます。
しかし、これでも以前のようには動けなくなっている。「お年寄りの老婆」と書かれた文章で憤慨した65歳の友人と同じ年に、 間もなくなろうとしている。さもありなんだ。
こうしてジタバタ暮らしている中で、遂に「悼む○と」というぶあつ~い本を読破した。昨今の「千の風ブーム」といい、 「おくりびとパッション」といい、世の中死に向き合うのがブームになっているかのようだ。この本もまさしくそれだ。 読み始めがギクシャクしていて、これは最後まで読めるかな?と思いながらだったが、 あとがきに寄ると連載小説として世に出たものを一冊の本にまとめたものらしい。成る程、それなら分かる。読んでしまって、 これは最後の持って行き方に相当苦労しただろう事が偲ばれた。全くの個人的な意見だが、主人公の扱い方に「普遍性」 という意味で不安が残った。山頭火の生き様がダブってきたまま読んだためか。娘が一気に読んで、「そんなもの要るかなあ?」という。 かなり気に入った作品だったようだ。まあ、読後にあれこれ考えさせてくれるという意味では、良かったかも。次はS嬢にお貸しする約束だが、 感想が聞きたいものだなあ。








