自然の明と暗。 (2009.7.22)
防府市が水害で大変だと連日ニュースで流れている。水害の恐ろしさは近年いくつか経験しているが、死者が出るほどのものは、 こちらでは余り無いため、画面に見入ってしまう。いずれ我が身、かも知れないではないか。まあ、近くに崖はないけれど、、、。
丁度今、種田山頭火の伝記を読んでいて、偶然にもこの土地の名前が私の脳裏に刻まれている。防府は彼が生まれた土地で、 晩年にボロボロの虚無僧のなりで生家辺りを歩いたそうだ。彼が幼少の頃までは大きな庄屋で辺り一帯がその所有物だったそうだ。母親の自殺、 それも自宅の井戸へ投身自殺したというショッキングな事件が、当時11歳だったという彼に与えた多大な影響は、十分理解できる。
昔から訳も分からずこの山頭火が大好きだった。うんと若い頃は、「こうして何も持たず、ただ歩き続けるだけで、 人間は生きていけるんだ。」という点に興味を持った。そうした生き方にあこがれに似たものを感じたと思う。、、、その後、 少しばかり世の中のことや人生というものが分かりかけて来た頃、山頭火の「旅」が、人生の歩き方と同義だということに気付いた。 彼の作品に再び接したとき、彼が辿った道の折々に作った作品に深く頷くばかりであった。「人生は淋しい」「どこまでも一人」 といった内容の歌は、別に彼のように放浪の旅をしなくても人生の旅路で誰もが知りうることだ。それを彼の作品が明確にしてくれる。 どこまでも時雨れていく中をひとりぽっちで歩く山頭火の後ろ姿は、即ち我々の姿だ。死に向かって、毎日歩き続けるのが人間だ。
その防府。今は大勢の人が流されて、又自然の脅威を思い知らされている。
自然と言えば今日は皆既日食。母を入浴の日で病院で看護士さんから、「見えますよ見えますよ」と声を掛けられたが、 結局闇が晴れていく瞬間を感じただけで終わった。テレビに7回も見たという100歳のおじいさんが出ていたが、その言葉に驚いた。 「これが最後かも知れないが、出来ればもう一回見てみたい!」お~モ~レツ!
衣装の作製にH村に行って3姉妹と頑張ったが、なんでもこちらでは、この皆既日食を「下」を見ることで鑑賞できたそうだ。 みんなが上を見上げている時刻に彼女たちは庭の木漏れ日が三日月型に揺れているのを見て感動したそうだ。残念!それは見てみたかった!








