ちぇちぃりぁ

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みっちゃん日記

観劇。 (2009.7.18)

 三浦綾子原作の「銃口」という演劇を見に友人のYを誘って出かけた。一幕は80%寝た。休憩時にぱちっと目が開き、 それを言ってYに笑われたが、これはむしろ小説として読んだ方が良いような気がした。くどくどしい描写は時折目を開けても、「あ、 まだそんな事やってるの?」と再びまぶたが重くなるという繰り返しだった。Yが言うには「アンタはまだお腹の中にも居ないからよ。 私でも2歳だもんね。」いやあそんな物じゃない。この手の作品は過去にもいくつも見てきたが、その都度感動したものだ。 今日のはどう考えても演出上の問題だ。ところが、二幕になって、がらっと違った展開になり、俄然芝居として面白くなった。 眠るどころか身を乗り出しての鑑賞となった。時々は涙さえ頬を伝い、隣のYもしゃくり上げている。見終わった感想は、「良いお芝居だったね。 」だったのだ。びっくり。

 結果的にこの作品のテーマは、私にとっては大変興味深いものだったということだ。モチロン自分自身戦争体験は無いわけだが、 人が人を殺す、という作業が与える感情について、それなりの想像はしていた。戦時下でも、 命令に背き自ら銃刀での殺戮を行わなかった人も居たのではないか?というのが、私の持論で、実際に手を下すのと、殺そうとするのとでは、 「罪」という点で全く違うと思っている。、、、それが、今日の作品の中でハッキリと描かれていた。罪がない人間を、 命令されてもどうしても殺せない人が、今日の主人公だった。

 シェイクスピアの「ハムレット」の中で、義父の祈る後ろ姿にハムレットが剣に手を掛けながらも殺さなかった、という場面。 クローディアスが兄を毒殺したことを懺悔して神に赦しを乞うため祈ろうとしてるのだが、矢張りそれは出来ないと、 一度折った足を再び伸ばすというこの場面。自戒や自責の念を持っているからと言って、クローディアスの罪が、人間が誰でも持っている「原罪」 と同じとはとうてい考えられない、というのが私の考えだ。だから、ここでクローディアスの長々とした反省の弁(独り言)は、 文学的に高い評価を得ているらしいが、それは「詩」としての価値はそうでも、この独白が「人間の本質」 を語り尽くしているというのとは違うような気がしている。私から見ると、この独白は偽善者の独白と思えるのだ。

 その証しのように、今日の芝居は展開された。と思う。人間は、正しくあろうとすればそうあり続けることが出来る。どんな時代でも、 人が人を殺すことはあってはならない。、、、完全な「反戦の芝居」だった。

 なんといってもプロのお金を掛けた舞台は見応えがある。今日は、作家の作品を象徴して、 舞台の上に厚みのある大きな原稿用紙様の舞台がセットされ、これまた大きなペンが添えられたり、それが回り舞台で使われたり、 かなり凝っていた。今日もエッセンスいただき~の巻き。ホントに舞台芸術は面白い。

 

 行く前に我が家で「冷麺」と「餃子」と「自家製の茄子とキューリのカラシ漬け」などでたっぷり夕食を食べてから出かけたのも、 眠気を誘う一因だった。帰りは温泉に行き、再び我が家で「一服」して、今度はヨーグルトに桃に、 残った餃子であたしゃビール一缶をあれ以来恐る恐る頑張って飲む。別に頑張る必要も無かったが、 このまま一切飲めなくなるのもしゃくだったので、ちょっとテスト。今のところ胃に収まっている感じ。やれやれ。 夫が留守の二日目はこうして夜も更ける。いつ帰ってくるんだったかなああ?忘れちゃった。んん?




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