時計よ止まれ。 (2009.6. 8)
昨夜1泊で実家に帰った母に付き添って、全く久しぶりに実家に眠る。移動に疲れたのか、 母は私と弟が見ているテレビの音を子守歌にスヤスヤと寝息を立てている。病院での規則正しい生活が身に付いたかと思ったが、 夜中に3度ほど目覚め私の肩を借りてトイレに通い、そのたびにぐっすりしかも遅くまで眠ったところを見ると、これは病院疲れのようだった。 自分のベッドで、ゆっくりと気兼ねなく眠れたのは、何よりの心の薬となったのだろう。そういえば先に退院した友人の母上も、 退院したその日からまる二日間というもの、食事も殆どせず、ひたすら眠り続けたという。病院では夜中も誰かが廊下を歩き、 部屋の出入りもあるから落ち着いて眠ることが出来ないのだ。「眠り」はホントに人間にとって最も必要なものだ。
朝ベッドから庭を飽かず眺めている母の姿を、私も静かに眺めていたが、あのとき一体母は何を考えていたのだろうか。 母の代わりに弟が丹精込めて苔を育てているのを喜んでいるのは分かっている。 樹がそれぞれに調和を持って成長しているのを見るのは喜ばしいことだろう。それらが最も美しく見える天候だった。、、、でも、 放心状態で動かず庭を眺める母の背中は別なことを私に告げていた。
私が仕事に戻ったとき、お嬢が東京から電話してきて、どうやら長電話したらしい。「おばあちゃんがねえ、 開口一番何を言ったかお母さん分かる?」と電話してくる。「庭の緑が綺麗で、今まで見たこともないような綺麗な色で、 何時間見ても飽きないってよ!これぞ心のケアよねっ!」、、モチロン、そうだろう。が、娘にはその奥にあるもの、 母の今までのことやこれからの事への不安や思いがまだ理解できてないのだろうと思う。ま、電話で分かることとそうでないことがある。
母を観察していて思うことだが、多分同じ年齢の人よりはかなり元気だ。病気になっても快復力がめざましい。 10年前のくも膜下出血の手術後も120%快復したし、今回の2度の手術にも関係者が驚くほどの快復振りだ。これは「生命力」そのもので、 我々周辺の人間の期待に応えなくては、という強い意志が常に漲っている。だから、介護のしがいがあるのだ。どんなに周囲が頑張っても、 本人にその気がなくては治るものも治らない。、、、このまま、どうぞ日常生活に戻れますように、と願うばかりだ。
今日は仕事が休みの私は、母を病院に送って帰り、マッサージ機に直行。そのままぐっすり小一時間も眠ったか。少し楽になって、 家事をやっつけ、夕方再び病室に行き、そこからちぇち練だ。自分自身はまだ歌えない状態だが、やることは山ほど抱えていく。しかし、 どうも調子が出ない。頭脳が明晰でない感じ。前頭葉に膜がかかった感じ。体調不良というのは、ホントダメだなあ~。 実際母の心配より自分の心配かも~。
今日の練習で多くの人が何度か台本を読み、前後関係も把握出来てきたような感じはしたが、 今度は相手の出方に対応するというのを練習する必要があると感じた。ピンポンと球を打ち返す感じが欲しいのだが、 壁に向かって一人遊びをしている人が多い。これを解消するには全員で揃った練習をする必要がアルのだが、、、、 なかなかこれが実現しないのも困ったもんだ。参加者には告げたことだが、今のところテレビドラマのセリフになっていて、 劇場型の言い回しが全く出来てない。意味を取るという段階は出来て来つつあるが、これをしっかり劇場のセリフに持って行かなくてはならない。 歌と違うと思いこんでいる人には、そうでないことを理解して貰う必要がある。日本語でやりながら字幕が必要と言われないために、、、、ああ、 時間が無い。








