ちぇちぃりぁ

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みっちゃん日記

天才と凡人。 (2009.3.30)

 なんという夫婦。我々のことだ。朝海外からご帰還した夫と顔を合わせたのは、夜の10時過ぎ。 メールのやり取りで食事の催促はあったが、イコール元気という合図だ。帰宅してみれば、台所のあちらこちらに着ていたものが散乱している。 洗面所など扉のあるものがどこもかしこも開いている。ああ、同居人が帰ってきた!という実感。ふ~っ。

 しかしおかしな人だ。出かける前は体中にアレルギーの湿疹を作っていたのが、帰国したら嘘みたいに消えている。はあ~っ? それホント?ってなぐあいだ。余程ラオスという国が身体に合っているんだろうねえ~。おみっちゃん、わかんな~い!!

 

 24年間続いているシェイクスピアの講座が今期も無事終了した。講義の後の昼食会に、新しく参加して来た人も何人か居て、 司会の私もやりやすく興味を惹かれた。中には、20年前からどうしてこの講座に出会わなかったのか、残念でならない。 この近くをうろうろしていたにもかかわらず、こんな良い講座があることに全然気付かなかった。という人が居た。まあ、 確かに出会いというのは不思議なもので、余程の興味と関心が無くては、文学の講座を受けようとは思わないに違いない。しかし、 考えてみるといつの間にかシェイクスピアは私の体の中に入ってきている。今、娘からの強い勧めで「カミーユ・クローデル」 の伝記本を読んでいるが、これを読みながらでも私の傍らにはシェイクスピアが居る。

 思うに、同じ天才でも、カミーユが狂気に囚われて悲惨な生涯を送ったのに比べ、シェイクスピアは精神のバランスを保ち、 人生を全う出来たのは、詩人でもあったが、ひとえに劇作家であったが故だろうと思う。劇というのは、 自分を客観的に見る事が出来る最良のものだ。

 この本の中に、「彫刻家という職業は、男にとっては良識に対する不断の挑戦とでもいうべきものだが、孤独な女、 とく私の姉のような気質の女にとっては、これはもう不可能以外の何ものでもない。彼女はロダンに全てを賭け、彼と共に全てを失ってしまった。 美しい帆船はしばらく苦い波に翻弄されたのち、船体、積み荷もろとも沈没してしまったのである。」と、詩人で戯曲家で、 作家で外交官の彼女の弟は文章で残している。30年を精神病院で過ごした姉に何らかの悔恨と、痛々しい想いを込めての文章だろう。

 もう一つ、この本で驚いたことは、彼女の母親の存在だ。ロダンとの禁断の恋をした娘に、現代ではあり得ない厳しさで接している。 終生娘を許さなかったというわけだ。だから、病院から出してくれと、哀願する娘の手紙も無視したと言うから凄い。 私にはとうてい出来ないことだ。モチロンこの母親のように階級意識が強く、又そういう家系に生まれ育った人物と比較は出来ないが、、、。 つくづく、一般ピープルで凡人で良かったあ!と思ったことだ。カミーユの不幸は、こういう家庭に育ったことも起因しているだろう。

 

 夜は実はお休みをさせて頂こうと考えていたちぇち練にも出かけた。モチロン行けば行ったでやることは沢山アルのだが、、、。いやあ、 これからが本番だ。

 が、明日は息子の家族がお泊まりだ。さあ、寝ておかなくては、、。




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