激しく雨が降る日。 (2008.6.20)
土砂降りの雨の中、シャンソンのコンサートから帰宅したら、NHKで先だっての秋葉原殺人事件の特集をやっていた。 別に目新しい内容ではなかったが、改めて見ていてつくずく思ったのは、「孤独」というものについてだった。
くしくも今日の演奏曲目に「孤独の歳月」というタイトルの曲があったが、私は声を大にして言いたい!みんな、歌を歌おうよ! 歌を知ろうよ!歌を教えてよ!歌を学ぼうよ!歌の中には、人間の苦しみも喜びもいっぱい歌われている。孤独なのは自分だけじゃない、 ということを大昔から人間は歌ってきたのだ。そうしたものに触れることで、どんどん心の中に穴を掘っていた人も、 浮かび上がれるというものだ。「100年生きるということは、100年の孤独を持つということ。」と、今日の歌い手も引用していたが、 全くその通り。そして人間は、そこから脱出することが出来るのだ。いやいや、そうじゃない。孤独は無くならない。しかし、 孤独でも生きていける、という思いに至ることは出来るのだ。
、、、こう思っても、社会はどんどん逆行している。学校から音楽や芸術的なことがカットされているらしいが、 そういうことでホントに良いのだろうか?もし、彼の母親が無類の歌好きだったら、彼の心は変わったかもしれない。 母親と一緒に歌えることがあったら、その思い出だけでも彼を救えたかもしれない。もちろん母親だけではない。彼の教師、友人、職場の人間、 彼を取り巻くすべての環境に、音楽的なものがあったのだろうか?
NHKの取材は続く。事件の後、ネット上に「彼の気持ちが分かる」という書き込みが数万件寄せられているという。 あれほどの残忍な事件の加害者の気持ちが分かる、という若者が多いというこの社会に慄然としたのは私だけだろうか? それほど追いつめられた若者が増えているということか。彼らのうち誰かが、 第2第3の加害者になりうる危険性をはらんでいる今の日本の社会なのだ。
誰かと関わりたい、仲間が欲しい、ひとりぼっちだ、と思っている人の救済の様にインターネットというものがある。しかし、この 「顔の見えない」相手との会話の恐ろしさに、気づいている人も多いはずだ。「返事をしたくなければしなくても良い」世界。 興味があることのみ話題にすればよいという社会。、、、こんなもので、ホントの孤独が癒されるはずがない。テレビの画面の中の人に、 画面を見ている人の事が分からないのと同じ。その行為は独り相撲かもしれないのだから。、、、 そんなものにしか救いが求められないという悲しさを思うとき、彼らに言いしれぬ同情の念が沸く。
いったい、日本はどうなっちまったのか!?








