晴れのち時々パラリ雨。 (2008.1. 3)
オペラが終わって、みんなどんな生活に戻ってるんだろうか。年末年始という慌ただしい時間の中を、 舞台でのことなど時々思い出しながら浮遊して居るんだろう。
今日は私は短歌の事始めであったが、短歌の入り口当たりをウロウロしているおみっちゃんにとっては、大変有意義な時間でもある。 まずは詠まれた「歌」そのものが身近な人の作品だけに色んな思いを届けてくれる。ちょっと恥ずかしかったが、次の歌を評する時に、 思わず涙が溢れ声が出なくなってしまった。
水槽の魚よ海の記憶はまだあるか母ありし頃に戻りたき吾 稲本 和子
こういう歌を解説したり、評したりしたくないが、友人に「貴女まだお母さんがいるじゃないの?」と不思議がられたので、 ここに記しておくと、まずは、この作者が水槽の魚を見ている姿がじんと来る。自らをその無力な小さな魚に置き換えているかのようで、 得も言われぬ孤独感が読む私を襲う。いずれその魚のように全ての懐かしいものから断絶され淋しく生きて淋しく死ぬのが、 おそらくは人間の定めなんだろう。作者もそれは充分分かっているが、時に弱い心に満たされるときもあるだろう。あるけれど、 この魚のようにただ大人しく黙って水の中をゆらゆら泳ぐことしか出来ないのが現実だ。「孤独」 という名のこの恐ろしい水槽の中に沈んでいく作者を想うとき、私の琴線が震えたのだ。たしかに、 この感銘は作者が最近まで母上との二人暮らしだったという背景を知っていたからでもある。しかし、「よ」と「か」 は使いたいが使うと陳腐になり、感情的になりすぎて上手く行かないのを、さらりと使っていて、その点でも感心したのだ。、、、 というような勉強も出来る会なのだ。
でまあ、昼食後から5時間近く頭と心の体操をして、急ぎ帰宅、孫べえも一緒の食事会をしようと20件ほど電話するも全部アウト! どこもかしこも満杯の大盛況で、こりゃあ待つのが嫌いな我が亭主の為に一足早く並ぶしかないと、目的のお店に駆けつける。 案の定1時間待ちだと言われるが、他で待つのも同じなので、そこで辛抱。上手い具合にカウンターが空いていたので、 早いのが一番とやって来た家族でそこを占領。約1時間の食事は無事終了。孫べえは良くなつき、私からお茶碗1杯のご飯を食べ、 ケッコウあれこれ食べる。驚いたのは「枝豆」をまあ上手に食べること!指でぷちっと押しては豆を出し、 およそ20個ほどを一つも落とさず全部食べたのには全く呆れた!これがつい最近まで、ミルクがメインで、 離乳食をスプーンでちびちびだったのかと思うと信じられない成長だ。何が嬉しいって、何かと言えば「みっちゃんと、、、、する。 みっちゃんと、、、、へ行く。」とくっついてくることだ。まあ、テレビ電話の効果絶大な物があるなあ。殆ど離れていて会えないのだが、 こんなに親近感を持ってくれているとは!
自分自身は母方の祖母に一度しか抱いて貰ってないそうだから、 まあ私は長生きしていてひょっとしたら孫の記憶にも留まるかも知れない。有り難いことだ。
つばを飲み込むと喉が痛い状態が続いているし、何か食べると口中の至る所をカミカミしてしまうが、これ全て疲労が原因だろう。 じわっと、去年からの疲れが出てきているなあ~。








